事業用自動車の健康起因事故について ~ その現状と事業者の事故防止対策 ~
はじめに
国土交通省が事業用自動車の健康起因事故を抑止するため、事業用自動車健康起因事故対策協議会を平成27年度から開設し、健康起因事故件数などの状況や各対策の実施状況がわかる資料を公開していることをご存じでしょうか。特に公道が職場そのものである事業用自動車の走行中に運転者に健康上の異変が起こることの重大な危険性は火を見るよりも明らかです。昨今、高齢ドライバーのアクセルとブレーキの踏み間違いによる交通事故のニュースを頻繁に見聞きします。こうした事故は、ペダル踏み間違い時加速抑制装置(システム)を装着することなどである程度の対策が打てます。しかし、突発的な身体の変調による事故の防止は、健康障害の内容や病状レベルなど要素が複雑であり、システムによる事故防止対策は容易ではないと考えられます。また、健康状態に起因する事故防止対策を事業者が実施する際には、個人の健康問題となる極めてセンシティブな内容であること、また医学的専門知識の課題などがあることにも留意する必要があります。当然のことながら、事業用自動車を運行する事業者は、運転者等の健康管理を行われなければならず、法令においても、乗務員の健康状態の把握が定められています。国土交通省では、健康管理に関するマニュアルの策定・改訂、スクリーニング検査の推奨など、健康起因事故を抑止する取り組みに力を入れています。また、事故防止の観点だけでなく、トラックドライバー不足が叫ばれる中、高齢者が多いトラックドライバーが少しでも長く運転業務を続けられるためにも健康管理の重要度は増しています。本稿では、運転者の健康状態に起因する事故報告件数や推移を確認しつつ、国土交通省の健康管理に関するマニュアルの概要に触れ、マニュアルに基づく事業者の健康起因事故防止に係る取組み状況を踏まえた課題、とりわけ高齢者に多く発症する視野障害にスポットを当てて整理してみたいと思います。
運転者の健康状態に起因する事故報告件数の状況
国土交通省の令和4年2月2日開催の令和3年度事業用自動車健康起因事故対策協議会の資料として、運転者の健康状態に起因する業態別の事故報告件数、推移、スクリーニング検査の実施状況などの興味深い内容が公開されています。まずは、事故報告件数と推移について見ていきます。
事業用自動車の運転者の健康状態に起因する事故報告に関しては、「自動車事故報告規則」に報告の義務が規定されています。具体的には、第2条第9号において、「運転者の疾病により、事業用自動車の運転を継続することができなくなったもの」を報告の対象とすると規定されています。事業用自動車健康起因対策協議会の資料もこの事故報告規則に基づいて報告されたものを集計したとされています。それによると、運転者の疾病により事業用自動車の運転を継続できなくなった令和2年の事案は、286件となっています。ピークであった平成30年の363件、令和元年の327件から減少傾向に転じています。業態毎の報告件数は乗合バスが最も多い傾向が引き続いています。ただ、トラックに関しては、平成25年からの推移で令和2年が最も多い件数となっています。トッラクの場合、運転者数が際立って多いことから母数に占める比率から考えると高くはないものの、今後注視していく必要はあるかと考えます。また、報告内容毎の全体の件数では、令和2年は乗務の中断等で実際の交通事故に至らなかったものが約7割と大半を占めています。しかし、「衝突・接触を伴うもので、死傷者が生じたもの(人身事故)」につては、令和2年は26件とこれまでで最も多い件数となっています。
次に業態別の健康状態に起因する事故件数の推移では、乗合バス、貸切・特定バス、タクシーにおける令和2年の健康起因事故報告件数は、前年に対して減少しています。一方、トラックは令和元年に健康起因事故報告件数が減少しましたが、令和2年は再び増加しています。そして、トラックの場合、「衝突・接触を伴うもので、死傷者が生じていないもの(物損事故等)」と「衝突・接触を伴うもので、死傷者が生じたもの(人身事故等)」の両者の合計が平成28年から令和2年まで継続して約40件で推移している点も特徴として挙げることができます。
これらの件数について、業態毎の運転者数も考慮に入れ、多いと考えるか、少ないと考えるかは、意見が分かれるところだと思います。ただし、健康状態に起因する事故が現実に発生していることは事実であり、事故の撲滅のためには、こういった健康起因事故防止対策にも取り組んでいく必要があることに異論を唱える人はいないのではないでしょうか。特に運転者が高齢化傾向にあるタクシー・トラック事業においては、その対策の必要性の位置づけが高くなっているのではないかと考えます。
健康管理上の事業者の運転者に対する義務と運転者の義務
事業用自動車の事業者には、運転者に対する就業、乗務及び運行における判断とその対処についての法令上の義務が定められており、そのための運転者の健康管理を行わなければならないとされています。具体的には、健康状態の把握、疾病等のある乗務員の乗務禁止に関する規定、運行管理者による点呼実施の規定、運転者に対する健康管理の重要性を理解させる指導(健康診断結果等に基づく生活習慣の改善、心身の健康管理など)の規定などがこれに該当するものと考えられます。また、運転者には、疲労、疾病その他の理由により安全な運転をすることができないおそれがある場合、その旨の申し出の義務もあります。これらは、いずれも旅客自動車運送事業運輸規則と貨物自動車運送事業輸送安全規則に規定されています。
健康起因事故の疾病別の内訳と対策マニュアル
前述の協議会の資料には、健康起因事故の疾病別の内訳も掲載されています。それによると平成25年から令和2年の8年間で健康起因事故を起こした運転者2,177人のうち心臓疾患、脳疾患、大動脈瘤及び解離が31%を占めるとのことです。そのうち、死亡した運転者374人の疾病別内訳は、心臓疾患が54%、脳疾患が11%、大動脈瘤及び解離が13%とのことです。これらの結果を踏まえ、国土交通省では、主な疾病に対するマニュアルを策定・改訂しています。そのマニュアルには、「睡眠時無呼吸症候群(SAS)対策マニュアル」、「脳血管疾患対策ガイドライン」、「心臓疾患・大血管疾患対策ガイドライン」、「健康管理マニュアル」があります。健康管理マニュアルは、健康状態の把握、就業上の措置の決定等について具体的方策を整理し、さらに睡眠時無呼吸症候群(以下、本稿において、「SAS」と表記)、脳血管疾患及び心臓疾患に関するスクリーニング検査を推奨するなど幅広い内容になっています。さらに、令和4年3月に作成されたのが「自動車運送事業者における視野障害対策マニュアル」です。このマニュアルに関しては、内容を少し踏み込んで後述したいと思います。以上ご紹介したこれらの疾病は、一般的にも広く知られているものでありますが、事業者としては、基本に立ち返って改めて内容を確認し、対応にモレがないか確認することは非常に有意義であると考えます。
事業者の健康起因事故防止に係る取組み状況
同じく前述の協議会の資料で興味深いのが、「健康起因事故防止に係る取組に関するアンケート調査結果」というものです。このアンケートは、バス、タクシー、トラックの自動車運送事業者で各業界団体の会員事業者を対象としたものです。会員事業者に対して主要疾病の早期発見に有効と考えられるスクリーニング検査の普及を検討するため、事業者における普及状況や課題等を把握することを目的に実施されています。調査内容は、「調査対象事業者概要」を含め、上記で紹介した「国土交通省のマニュアル・ガイドラインの認知度について」、「SASスクリーニング検査について」「脳血管疾患スクリーニング検査(脳健診)について」、「心臓疾患・大血管疾患スクリーニング検査について」の計5項目です。そして、SAS、脳血管疾患、心臓疾患・大血管疾患の各スクリーニング検査について、「スクリーニング検査を受診させている」、「(スクリーニング検査を受診させていない場合)スクリーニング検査の必要性を感じている」の2点の回答結果を平成28年度から令和3年度まで年度毎に掲載しています。
それによると、4つのマニュアルの認知度は総じて高く、令和3年度の場合、最高が健康管理マニュアルのバス事業者で98%、最低が心臓疾患・大血管疾患対策ガイドラインのトラック事業者で82%となっており、8割以上の高い認知度となっています。次にスクリーニング検査の受診状況ですが、令和3年度で見る限り、SASスクリーニング検査は、バス70%、タクシー18%、トラック33%です。脳血管疾患スクリーニング検査は、バス48%、タクシー9%、トラック14%です。心臓疾患・大血管疾患スクリーニング検査は、バス18%、タクシー16%、トラック15%です。スクリーニング検査の種類では、SASスクリーニング検査を受診させている率が高くなっています。各スクリーニング検査を受診させている割合に関し、バス事業者のSASスクリーニング検査以外は、5割に満たない結果になっています。筆者としては、対策マニュアルが整備され、その認知度も高いことからもう少し高い率ではないかと考えておりました。とりわけ、SASの危険性に関しては、かなり以前から事業者の間では広く知られていたとの認識を持っておりました。しかし、タクシー事業者で約2割、トラック事業者で約3割といった率は、かなり低く感じます。両事業者における運転者の数にも原因があると推察しますが、逆にそれだけ多くの運転者に検査を受診させていないということになるので、SASに起因する事故発生の高い可能性を残しているとも考えられます。
上記で紹介した健康起因事故を起こした運転者2,177人のうち心臓疾患、 脳疾患、大動脈瘤及び解離が31%を占めることを踏まえると、事故防止対策としてこれらのスクリーニング検査を受診させる率を上げていく必要性は非常に高いと考えられます。それを象徴するように、スクリーニング検査を受診させていないが、スクリーニング検査の必要性を感じているという回答は、この3つの検査について、いずれもおよそ8割から9割と高い数値となっています。必要性の認識が高まっていることは歓迎すべきでことですが、是非認識だけに止まることがないよう期待したいと考えます。
視野障害による交通事故の危険性
自動車を運転する際、運転者は周囲から様々な情報を得て、状況を認知し、それに基づいて適切な判断をし、動作につなげています。その情報を最も多く獲得しているのが視覚なのではないでしょうか。自動車運転の免許試験における合格基準は、道路交通法施行規則第23条に定められています。その中には視力の分野も含まれています。普通免許については、視力が両眼で0.7以上、かつ、一眼でそれぞれ0.3以上であること又は一眼の視力が0.3に満たない者若しくは一眼が見えない者については、他眼の視野が左右150度以上で、視力が0.7以上となっています。これが、大型免許、中型免許、準中型免許、大型自動車仮免許、中型自動車仮免許、準中型自動車仮免許、牽けん引免許及び第二種運転免許について、少し基準が上昇して、視力が両眼で0.8以上、かつ、一眼でそれぞれ0.5以上とされています。このように視力と視野について一定の基準が設けられています。視力については、免許取得時及び更新時にも検査され、ある意味、明確な結果が出る基準と言えます。また、視力は、視力が低い場合、眼鏡等で矯正することが可能であり、運転時にきちんと矯正していれば、視力自体に直接起因する事故の発生確率は高くないと考えられます。一方で、視野に関しては、視力が良好な場合には、視野障害があっても、検査を受けず、免許の取得や更新が問題無く行われるケースが想定されます。視野障害とは、全体的に見える範囲が狭くなったり、部分的に見えないところがあったりするなど、視野が欠ける状態を言います。字句の意味するとおりですが、自動車を運転する際に全体的に見える範囲が狭いということは、周囲の状況を把握しづらいということになります。また、部分的に見えない所があると、信号機、自転車や歩行者を見落としたりするなどのリスクが高まります。視野障害となる病気でよく知られているのが緑内障です。ここでは、緑内障に焦点をあてて話を進めたいと思います。緑内障の進行はゆっくりであるため、本人の自覚症状がないまま視野が欠けていってしまうことが多いのがこの病気の怖いところです。誤解が生じないようお断りしておきますが、緑内障だから運転に不適切といったことでは決してありません。自覚の問題です。視野が狭くなったり一部欠けたりする緑内障など視野障害が発症、進行していることを自覚せずに運転を続けることが重大事故につながる恐れがあるということを申し上げたいのです。逆に言えば、視野障害の早期発見と治療の継続により、運転に対する支障を取り除く若しくは低減することができ、運転者自身の運転寿命の延伸にもつながるということです。緑内障の有病率は、年齢とともに増加し、特に40歳代以降で発症する割合が高くなるとも言われているようです。トラックやタクシーの運転者は、特に高齢化が進んでいるため、運転業務を長く継続していくためにも、こういった視野の病気に関する正しい知識と定期的な検査の受診は非常に重要になってくると考えます。また、こういった取り組みは、運転者不足問題を抱える業界、各事業者にとっても大きなメリットに通ずるものと考えます。
自動車運送事業者における視野障害対策マニュアル
令和4年3月に国土交通省は、「自動車運送事業者における視野障害対策マニュアル」を公表しました。このマニュアルは、自動車運送事業者に対し、視野障害に関する運転リスクについて運転者に周知し、眼科健診の受診や治療の継続を促進するため、自動車運送事業者が視野障害対策を進めるにあたって知っておくべき内容や取り組む際の手順等を具体的に示しています。マニュアル冒頭の「はじめに」では、前項「視野障害による交通事故の危険性」の内容をより簡潔明瞭に説明していますので、そのまま引用してご紹介します。
【自動車運送事業者における視野障害対策マニュアル 2ページ 「はじめに」 原文】
視野障害とは、視野(目の見える範囲)が狭くなったり一部欠けたりする状態をいいます。視野障害の原因となる疾患には、眼の疾患や脳の疾患があります。それらの疾患は、加齢とともに罹患している人が増える傾向があります。例えば、視野障害をきたす疾患の一つの緑内障の有病率は、40 歳以上の日本人で約 5%と言われており、初期・中期には自覚症状が無いことが特徴です。その他の疾患でも、視力は良いのに視野障害が起こっている場合に、自覚されないことがあります。
高度の視野障害を有する運転者が、自身の疾患に気づかずに運転を継続している場合、運転中に信号や標識を見落とすなどにより、重大事故を引き起こす可能性が高まります。
自動車運送事業者には、多くの利用者の生命、財産を安全に目的地に運ぶとともに、歩行者、他の交通の利用者をはじめ、運送事業の周囲で活動する人々の安全性を確保する責任があるため、運転者に対し、健康起因事故を引き起こす可能性のある疾病の早期発見に努め、対処する必要があります。
このように、視野障害による交通事故の危険性とそれらに起因する事故を防止する事業者の責任が示されています。また、マニュアルでは、視野障害の原因疾患の種類として、緑内障の他にも「網膜色素変性症」、「加齢黄斑変性」なども紹介されています。そして、事業者の実践項目として、「運転者への理解」、「眼科健診の受診と対応」、「視野障害に関する注意すべき症状の把握」、眼科医の検査、治療を経た後の「運転者の運転業務に関する意見を眼科医から聴取」、「個別の状況判断および産業医との相談の上、就業上の措置(運転指導や経過観察等)を講じる」といった実践内容が説明されています。自覚症状を伴うことが少ない疾病であることを踏まえると、運転者への理解の促進と眼科健診の受診がキーになると考えます。とりわけ、運転者への理解の促進の方法については、簡易スクリーニング検査手法として、「クロックチャート」、「タブレット型視野計」、「チェックリスト」についても紹介されているので、是非とも活用すべきと考えます。
事業用自動車の事業者の課題
自動車運送事業者における視野障害対策マニュアルに関しては、全日本トラック協会や各都道府県のトラック協会のホームページなどでも紹介されており、会員の事業者には情報が届いていると思います。ただ、この情報が事業主、すなわち経営幹部段階で止まり、現場管理者や運転者を直接指導する層まで届かない、あるいはマニュアルの存在、内容を知っているだけで、運転者への周知の実践に至らないといったことが起こらないようにすることが最も重要なことと考えます。物流現場の安全対策や品質向上の取り組みなどについて、安全作業手順書やマニュアルが十分に整備されていると、それをもって対策が講じられた錯覚を起こしている現場を筆者はこれまでよく目にしてきました。それでも時折、事故が発生し、原因を調べると手順書やマニュアルがあるのは知っていたが、守っていなかったといった事例に発展します。少し話が飛躍してしまいましたが、大変よくできたマニュアルであっても、それが実践されなければ意味が無く、実践があってこそ真の価値が発揮されるものと確信しております。マニュアルがあっても、日常業務に追われて時間の無い運転者一人ひとりに視野障害ついて理解を促していくことは、かなり労力がいることも理解します。しかし、これは事業者が中心となって取り組むべき課題の一つとして認識し、地道にそして確実に実践していかなければならないことであると考えます。
繰り返しになりますが、視野障害は本人の自覚が無いまま病状が進行していることが多くあります。また、通常の定期健康診断では、視野検査(緑内障に関係するといわれる眼圧の検査も含めて)が必須項目になっていません。そのため、視野障害の早期発見、治療のためには、事業者による本人理解とスクリーニング検査や眼科受診の促進が他の疾病に比べてより重要になります。これまで異常が無かったので、これからも大丈夫という根拠のない期待予測は大変危険です。事故防止に向けては、事業者が主体となって、一度だけでなく、定期的に検査、受診の促進に取り組むことが極めて重要であり、必要なことであると考えます。事業者は、運送事業の周囲で活動する人々の安全性を確保する責任があるのです。
おわりに
せっかくの視野障害マニュアルが策定されたことを良い機会として、視野障害に対する理解とその防止の取り組みが進むだけでなく、他の健康障害に起因する事故防止の取り組みも浸透、進展し、事故が無くなることを切に祈念します。言うまでもありませんが、健康起因による人身事故は、被害者はもちろんですが、疾病等により事故を惹起に至ってしまった加害者も一般の事故以上に不幸です。それも、視野障害のように自覚がないまま、本人は周囲を十分に注意して運行している上での事故は悲劇としか言いようがありません。前述の「健康起因事故防止に係る取組みに関するアンケート結果」のように、必要性は感じているが、肝心の取組みが進まないといったことがないようにマニュアルの内容の正しい理解からスクリーニング検査実施への流れが着実に推進されることに期待したいと思います。
(この記事は2022年12月28日時点の状況をもとに書かれました。)
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